にいがた文化の記憶

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2021/04/06~2021/07/11

2021(令和3)年度│日本映画初の女性脚本家 水島あやめ

 映画産業が生まれたころ、松竹蒲田撮影所で日本初の女性脚本家が活躍しました。南魚沼市出身の水島あやめ(1903~90年)です。水島が書いた脚本は松竹初の女優・川田芳子(新潟市出身、1895~1970年)らの主演により映画化されました。
 水島が脚本家として活躍したのは無声映画の時代でした。映画が無声からトーキーに切り替わるころ、水島はかつて憧れた少女小説作家に転進。そこでは、すでにスター作家であった吉屋信子(新潟市、1896~1973年)や蕗谷虹児(新発田市出身、1898~1979年)らと出会い、第一線の少女小説家として多くの少女たちに夢を与えました。
 本展では、水島あやめの没後30年の節目に、関連資料とともに水島あやめを紹介します。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、NST新潟総合テレビ
後  援:南魚沼市教育委員会
協力企業:田村紙商事株式会社
展示協力:因幡純雄氏、高野恵美子氏
無声映画提供協力:株式会社マツダ映画社

※現在予定している企画展示及びイベントは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。

2020/12/12~2021/03/21

2020(令和2)年度│没後70年記念 相馬御風のうたのこころ

新潟県文化祭2020

 糸魚川町に生まれた相馬御風(1883~1950年)は、2020年に没後70年を迎えます。早稲田大学校歌「都の西北」や「カチューシャの唄」の作詞で知られ、詩人や文芸評論家として活躍した御風が最初に文学の道に入ったのは11歳の時でした。地元の俳人・歌人の手ほどきを受けて俳句や短歌を詠み始めた御風は、高田中学校(現高田高校)時代の国語教師の下で本格的に短歌を学びました。
 中学卒業後に与謝野鉄幹主宰の「新詩社」に入会。東京専門学校高等予科(現早稲田大学)在学中、共に新詩社を脱退した前田林外や岩野泡鳴らと「東京純文社」を興し、雑誌「白百合」を創刊しました。大学卒業後は恩師・島村抱月によって再刊された「早稲田文学」の編集に携わり、短歌よりも自然主義評論や詩、小説の創作活動に意欲的な10年間を過ごしました。
 1916(大正5)年、33歳で東京での文壇生活を捨てて郷里糸魚川に退住、良寛研究に着手します。町の有志によって御風を指導者とする短歌結社「木蔭会」が組織されると、再び旺盛なる意欲をもって歌作につとめました。御風は1926(大正15)年に発刊した『御風歌集』のはしがきで「歌は私の最も純真な表現」と述べています。御風にとって短歌とは真実の自己表現だったのです。本展では、糸魚川歴史民俗資料館《相馬御風記念館》に伝わる資料を中心とした約30点をとおして、御風が詠まずにはいられなかった歌の世界、そのこころを展観します。

主催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:故 吉沢久子氏
展示協力:糸魚川歴史民俗資料館《相馬御風記念館》

※現在予定している企画展示及び解説会などのイベントなどは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。

2020/08/22~2020/11/23

2020(令和2)年度│江戸のリアリズム 森蘭斎

新潟県文化祭2020

 現在の妙高市新井に生まれた森蘭斎(1740~1801年)は「南蘋派(なんぴんは)」の絵師として江戸中期に活躍しました。越後新潟で五十嵐浚明(1700~1781年)に画を学んでいたころ、南蘋派の熊代熊斐(くましろ・ゆうひ、1712~1773年)の画を見て、南蘋派入門を決意。宝暦13(1763)年ころから長崎でその技法を学びました。
 「南蘋派」、中国・清時代の宮廷画家 沈南頻(しん・なんぴん、1682~1760年?)が長崎滞在時に残した技法で、写実的で鮮やかな彩色の花鳥画を特徴とします。この技法は大流行し、同時代の円山応挙や伊藤若冲に影響を与えたといわれますが、現在では知る人ぞ知る流派です。
 天明2(1782)年に、蘭斎は版本『蘭斎画譜』を出版。この画譜により、南蘋派が広く知られることとなりました。
 本展では生誕地・妙高市に残る作品を『蘭斎画譜』とともに展示し、江戸のリアリズム絵師・森蘭斎を展観します。

主催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
後援:妙高市教育委員会
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:故 吉沢久子氏
展示協力:新潟県立図書館

※現在予定している企画展示及び解説会などのイベントなどは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。

2020/04/03~2020/08/02

2020(令和2)年度│佐渡を訪れた文化人―山本家コレクションより

 明治時代に武家政権から天皇親政になると、真野村(現佐渡市真野)の順徳天皇火葬塚(真野御陵)が脚光を浴び、参拝のために佐渡を訪れる人が多くなりました。渡島文化人の多くは真野御陵の管理保全に重要な任を担う山本家の丁寧な案内を受け、短歌や俳句を作り、山本家でそれを書き残しました。佐渡の風土や人情を愛した文化人の多くは佐渡を複数回訪れています。
 本展では、山本家所蔵の膨大な資料の中から、明治以降に佐渡を訪れた文化人を中心に紹介します。佐渡を舞台とした文化人たちの心をお楽しみください。
 佐渡の人々は、海を渡って訪れた文化人を温かく迎えました。そして、新しい文化や思想をもたらす彼らを慕い、後に島内ゆかりの地に文学碑を建てました。その写真を併せて展示し、交流の深さも紹介します。

主催:にいがた文化の記憶館、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
後援:新潟県
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:故 吉沢久子氏
展示協力:山本修巳氏(新潟県文化財保護連盟理事、元佐渡市文化財保護審議会会長、地域誌『佐渡郷土文化』主催、佐渡良寛会会長、佐渡俳句協会会長)

2020/01/21~2020/08/02

2019(令和元)年度│吉沢久子・古谷綱武展(企画ミニ展示)

<2020年8月2日(日)まで延長します>

 新潟日報で『家事レポート』を50年以上連載してきた家事評論家の吉沢久子さん(1918-2019年)。2019年3月に101歳の長寿を全うされました。
 高度成長期の1967(昭和42)年に女性の暮らしと家事をテーマに書き始めた『家事レポート』は、吉沢さんにとって「日記のような存在」でした。66歳で夫の古谷さんを亡くしたあとは、ひとり暮らしをしながらシニアの生き方についてのエッセイなども執筆。多くのシニア世代にとってのロールモデルとなりました。
 吉沢さんが新潟日報誌面で連載をすることとなったきっかけは夫・古谷綱武さんの新潟日報連載『新潟遠望』でした。本展では古谷さんの『新潟遠望』や吉沢さんの『家事レポート』のパネルを関連資料とともに展示します。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
協  力:故吉沢久子氏
展示協力:福井県坂井市春江図書館、「月刊キャレル」編集部

2020/01/21~2020/03/15

2019(令和元)年度│新潟の米と酒

 新潟は「日本一の米どころ」といわれています。しかし、1930年ころまで北陸以北の米は味が悪く「トリまたぎ米」と呼ばれていました。
 明治に入ると、農業にも科学的な思考と方法が導入され、疫病や冷害に負けないイネづくりが始まりました。北海道大学教授の伊藤誠哉(新潟市出身、のちの北大総長)は当時多くの農家が苦しんだいもち病の伝染経路を研究して防除法を開発しました。全国的に品種改良が進められるなか、県農事試験場(長岡市)の主任技師 並河成資らが「農林1号」の育種に成功。寒さに強くて早く育ち、しかもおいしい「農林1号」は太平洋戦争直後の食糧危機を救い、のちには「コシヒカリ」誕生に貢献します。
 米と水を発酵させてできるのが日本酒です。醸造方法は江戸時代にほぼ確立しましたが、製造中に酛や醪が腐敗するなど品質は不安定でした。1904(明治37)年の大蔵省醸造試験所設立後は品質の安定や向上のため科学的な酒造りが勧められました。現在も普及している速醸酛(そくじょうもと)を体系立て全国の蔵元に普及したのが醸造試験所の技師・江田鎌治郎(糸魚川市出身)でした。応用微生物学者で「酒博士」の坂口謹一郎(上越市出身)は江田を「酒造界の神様」と評していました。
 明治以降に飲まれるようになった酒にワインやビールがあります。川上善兵衛(上越市)は日本に合うワインぶどうを育て、中川清兵衛(長岡市出身)と生田秀(佐渡市出身)は日本製ビール醸造技術を開拓しました。
 本展では、新潟の米と酒の発展に貢献した新潟県人らを関連資料とともに紹介します。あわせて、かつて『月刊キャレル』に連載された「歴史上のごはん」から、当館で紹介している文化人が好んだごはんもパネル展示します。

主催:にいがた文化の記憶館、新潟日報社 共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送 協力企業:田村紙商事株式会社 展示協力:新潟県農業総合研究所、同研究所作物研究センター、新潟県醸造試験場、新潟県立図書館、      新潟市歴史博物館、糸魚川市教育委員会、柏崎市立博物館、      サッポロビール株式会社、hickory03travelers、「月刊キャレル」編集部

2019/09/10~2019/12/01

2019(令和元)年度│病とたたかう―近代医学と新潟県人

天皇陛下御即位記念
第34回 国民文化祭・にいがた2019 第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会

 わが国の医学はまず中国から伝わった「漢方」から始まりました。江戸時代、長崎のオランダ人を通じて入ってきた西洋医学「蘭方」への関心が高まりました。西洋医学を学ぼうとする者はみな長崎を目指すようになり、オランダ人医師ポンペらによって後に近代医学界で活躍する人材が育てられました。明治時代に入ると当時最先端のドイツ医学が採用されました。やがてドイツ式の医学教育が確立、医学教育制度の整備が進められていくなかで、新潟県人が先駆的な活動をしました。
 本展では、幕末の種痘医・桑田立斎(新発田市)、医学用語を発明した語学の天才・司馬凌海(佐渡市)、日本で最初の医学博士・池田謙斎(長岡市)、日本初の私立医学校を創立した長谷川泰(長岡市)、初代の陸軍軍医総監・石黒忠悳(小千谷市)、「医師」の理想を追求した入澤達吉(見附市)、越後における医学の父・竹山屯(新潟市)と澤田敬義(新潟市)、女性の排卵や受胎について研究した産婦人科医・荻野久作(新潟市)、脳神経解剖学の権威・平澤興(新潟市)らを紹介します。


主  催:にいがた文化の記憶館、文化庁、厚生労働省、新潟県、
     第34回国民文化祭、第19回全国障害者芸術・文化祭新潟県実行委員会、
     公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
展示協力:日本歯科大学新潟生命歯学部 医の博物館、大阪大学適塾記念センター、加茂市立図書館、古河歴史博物館、医療法人 竹山記念会竹山病院、燕市分水良寛史料館、ナガイレーベン株式会社、長岡市教育委員会、中之島ふる里伝え隊、公益財団法人 中野邸記念館、新潟市曽我・平澤記念館、新潟青陵大学図書館、新潟大学医学部、新潟大学医歯学図書館、新潟県立図書館、新潟県立歴史博物館

2019/06/08~2019/08/25

2019(令和元)年度│にいがたの映画人

<第34回 国民文化祭・にいがた2019 第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会 プレイベント>

 1951(昭和26)年に東映を創立し、初代社長を務めたのは、新潟市西蒲区出身の大川博(1896~1971年)でした。鉄道官吏から東京急行電鉄を経て、映画人となりました。大川は会社経営だけでなく、プロデューサーとしても手腕を発揮して、「赤穂浪士」などの映画を制作。また中編の娯楽映画を3本立てで上映し、大ヒットさせました。1956年の新潟東映会館オープニングでは俳優の大川橋蔵らと出席。同じ年に「東洋のディズニー」を目指して東映動画(現東映アニメーション)を設立。設立時に参加していたのは抒情画家の蕗谷虹児(新発田市出身)でした。
 本展は第1部「新潟に残る東映動画の足跡」(新潟大学人文学部メディア・表現文化学プログラム・石田ゼミとの協同企画)と第2部「東映社長 大川博と銀幕のスターたち」の2部構成で、にいがたの映画人たちを紹介します。

第1部「新潟に残る東映動画の足跡」新潟大学人文学部メディア・表現文化学プログラム(石田ゼミ)との協同企画
会期:2019年6月8日(土)~ 7月15日(月・祝)
第2部「東映社長 大川博と銀幕のスターたち」
会期:2019年7月19日(金)~ 8月25日(日)

主催:にいがた文化の記憶館、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、NST
後援:新潟県
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:新潟大学人文学部、新潟大学環東アジア研究センター、新潟大学アニメ・アーカイブ研究センター、新潟市中之口先人館、新発田市・蕗谷虹児記念館、坂本文巳男コレクション、佐藤隆コレクション

2019/04/02~2019/05/26

2019(平成31)年度│マンガとはナンダ 児童マンガの世界から

第34回 国民文化祭・にいがた2019 第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会 応援事業

 マンガとアニメはいまや、クール・ジャパンの日本を代表する情報産業の一つになっています。戦前・戦後に子どものものだったマンガは、雑誌の隆盛とその後の映画やテレビの映像技術の発展により、子供だけのものではなくなりました。大人向けの恋愛ものや、内外の歴史や時事問題を背景においた作品、さらには日本経済を解説する“学術的“分野まで拡張しております。
 本展では、平安期の鳥羽僧正作とされる《鳥獣人物戯画》から江戸期の北斎漫画、そして太平洋戦争前後の田川水泡の『のらくろ』、さらに昭和期の手塚治虫の『鉄腕アトム』というマンガの歴史を概観し、この潮流のなかに新潟県ゆかりのマンガ家が活躍しており、その代表者として寺田ヒロオ、赤塚不二夫らの作家とその作品を紹介します。

主  催 / にいがた文化の記憶館、新潟日報社
共  催 / 新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業 / 田村紙商事株式会社
協  力 / 新潟市マンガ・アニメ情報館、新潟市マンガの家、にいがたマンガ大賞実行委員会、
      寺田ヒロオ研究会、新潟市潟東歴史民俗資料館、新潟市立中央図書館、
      新潟県立新潟中央高等学校、新潟県立新発田高等学校同窓会、新潟市歴史博物館、
      新潟市美術館、新潟かみしばいクラブ

■ 紹介している新潟のマンガ家
 寺田ヒロオ、赤塚不二夫、聖悠紀、魔夜峰央、小林まこと、近藤ようこ、高野文子、安田弘之など

2019/02/22~2019/03/21

2018(平成30)年度│良寛再発見

 来年2020年は、良寛(1758-1831年)が没して190年になります。子どもたちと手毬をついたり生きとし生けるものに慈愛の手を差し伸べた良寛は、今も多くの人々に親しまれています。良寛は出雲崎の名主の跡取りとして生まれましたが、18歳で出家し、家業は弟に託しました。曹洞宗の僧として諸国で修業した後、39歳で故郷の越後に戻り、燕市国上山に庵を結んで暮らしました。自分の寺を持たず、日が暮れるまで子どもたちと手毬で遊び、人々から親しまれていました。しかし一方では、明治時代に仏教哲学者・原坦山(はら・たんざん、1819-1892年)が、「日本で仏学の蘊奥(うんおう)を究めし者、空海以来、唯この人のみ」と評したように良寛は優れた境涯を持つ禅僧でした。
 會津八一(1881-1956年)は青年の頃、正岡子規の根岸庵を訪ね、「我が郷の良寛禅師を知りたまふや」とただし、村山半牧(1828-1868年)の『僧良寛歌集』を贈ったと記しています。良寛が広く知られ始めたのはその頃からです。八一は糸魚川に退住していた相馬御風(1883-1950年)に良寛研究を勧めたといいます。『大愚良寛』を著した御風は、「本当の自分」を取り戻すために、良寛の生き方に倣おうとしました。八一と御風は早稲田大学での同級生であり、2人ともその専攻は西洋近代文学でした。ここに、従来の古めかしい中国風の文人とは異なる、西欧的ヒューマニズムの視点からする新たな良寛の人間像についての解釈が生まれました。良寛こそが、伝統と近代にまたがる新潟の文人の理想型です。
 本展は、にいがた文化の記憶館の座標軸をなす人物としての良寛を再発見するための企画展示です。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
協  力:全国良寛会
監  修:小島正芳氏(良寛研究家、全国良寛会副会長)

第34回国民文化祭・にいがた2019、第19回全国障害者芸術・文化祭にいがた大会 応援事業

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