にいがた文化の記憶

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2022/04/09~2022/07/10

2022(令和4)年│生誕130年記念 直木賞作家 県人第1号 鷲尾雨工 ―人と作品―

 歴史小説を多数発表し、新潟県人で直木賞作家第1号となった鷲尾雨工(本名浩、1892[明治25]~1951[昭和26]年)は、西蒲原郡黒鳥村(現新潟市西区)に生まれました。2022年に生誕130年を迎えます。
 雨工の祖父と父は早くに亡くなり、生家は雨工が3歳の時に焼失したため、小千谷市にある母親の実家に移住しました。旧制小千谷中学校では常に成績上位で、卒業後は文学を志して早稲田大学英文学科に進学しました。卒業後、大学の同級生だった直木三十五らと出版業に乗り出しましたが、関東大震災で高額の負債を負って小千谷に帰郷しました。しかし作家への道を諦められずに再び上京し、職を転々としながら執筆活動を続けました。
 再上京から11年、43歳の時に極貧の中で書き上げた『吉野朝太平記』で第2回直木賞を受賞。楠正儀(くすのき・まさのり)を中心に南北朝末期の乱世のありさまを描いた作品です。明確な歴史観に基づく歴史小説で評価を高めましたが、戦争や体調悪化のせいでその活躍は長く続きませんでした。
 本展では生誕130年を記念し、鷲尾雨工の生涯と作品を紹介します。

生誕130年鷲尾雨工展チラシ

2022/08/06~2022/11/03

2022(令和4)年度│有恒学舎創設・増村朴斎

 創立から127年目を迎えた新潟県立有恒高校(上越市板倉区針)は、地元生まれの教育者・増村朴斎(1868~1942年)が1896(明治29)年に開校した「有恒学舎」を前身とします。
 朴斎は14歳で上京し漢学を学びました。郷土の子弟を育てることを夢見て、帰郷後に私財を投じて「有恒学舎」を設立。孔子の『論語』から「有恒」という言葉を選んだ校名の額は、勝海舟が揮毫して井上圓了から届けられました。「恒に変わらない正しい信念を持ちつづける人間」を育成したいという朴斎の願いが込められた学舎には、會津八一(新潟市出身)など全国から実力派の教師が招かれました。
 本展では、教育者・増村朴斎と有恒学舎を関連資料とともに紹介します。

2022/11/26~2023/02/28

2022(令和4)年度│生誕110年記念 宮柊二 ―越後が生んだ歌人の歌と生涯―

 戦後歌壇を牽引した歌人・宮柊二の生誕110年を記念して企画展示を開催します。宮柊二については、何よりも出生地・魚沼市の「宮柊二記念館」が資料の収集保存に努めておられ顕彰普及活動も盛んです。また、彼の生涯と作品を解説した本も多く刊行されていますので詳しい解説はそれらにまかせ、今回の企画展では宮柊二に親しんでいただく一歩のために、生涯で特筆すべき事柄や業績、代表的な短歌などについて大づかみに紹介いたします。
 本展をご覧になって、宮柊二の歌を鑑賞したり、調べるきっかけとしていただければ幸いです。そして、ぜひ宮柊二が愛したふるさと・魚沼市堀之内へ、「宮柊二記念館」にお出かけになり、歌人の足跡をたどってみてください。

宮 柊二(みや・しゅうじ) 1912(大正元)~1986(昭和61)年
歌人。新潟県魚沼市生まれ。北原白秋に師事し、歌誌『多磨』創刊に参加。太平洋戦争では中国山西省を転戦、この経緯がのちに戦場詠として『山西省』に結実した。1953(昭和28)年に歌誌『コスモス』を創刊、有力歌人を輩出した。また、宮中歌会始の選者を8回務めた。魚沼市名誉市民(旧堀之内町名誉町民)。2022年8月23日で生誕110年。

2021/11/23~2022/03/06

2021(令和3)年度│日本美術界の旋風児 尾竹竹坡

 かつて明治後期の画壇で名をはせ、その後ほとんど埋もれてしまった日本画家の三兄弟がいます。新潟市に生まれた尾竹越堂、竹坡、国観です。とりわけ竹坡(1878~1936年)は、岡倉天心から「天才」とまで言われた画家でした。
 富山で売薬版画の下絵画家として青年時代を過ごしたのち、日本画家を志して上京。明治・大正期の日本画壇で活躍しますが、岡倉天心が会長を務め、竹坡が入会した「国画玉成会」第1回展覧会の審査員選びが紛糾して退会。その後は文部省の美術行政を改革しようと国会議員に立候補しますが、落選。人気作家でありながらも波乱の人生を送りました。
 本展では、今日も美術愛好家に人気のある作品や関連資料とともに尾竹竹坡を紹介します。

2021/07/27~2021/11/03

2021(令和3)年度│生誕130年 松岡譲

新潟県文化祭2021

 小説家・松岡譲(1891-1969年)は、新潟県古志郡石坂村(現長岡市)、真宗大谷派の本覺寺の後継ぎとして生まれました。長岡中学校(現長岡高校)では詩人・堀口大學と同級でした。寺の後継を拒否して上京、進学先の東京帝国大学哲学科で芥川龍之介や久米正雄らと交流し、彼らの手引きで漱石山房を訪ねて夏目漱石の門人となり、漱石から「越後の哲学者」と呼ばれました。松岡は芥川、久米、成瀬正一、菊池寛らと共に漱石を第一の読者とするための同人雑誌、第四次『新思潮』を創刊します。卒業後、漱石の長女・筆子と結婚しましたが、筆子に恋していた久米が小説『破船』で友情を裏切った人物として松岡を描いたため、文壇をはじめ世間から孤立、しばらく沈黙します。失意の松岡を立ち直らせたのが、長編小説『法城を護る人々』の大ヒットでした。寺院の跡取りとして生まれた松岡の父親との葛藤から始まり、俗化した寺院生活への痛烈な批判、真実の信仰とは何かを問うことにより、当時の宗教界の腐敗へ厳しいまなざしを向けた半自伝的小説でした。この問題作を世に出したのは、同郷の出版人・長谷川巳之吉の「第一書房」でした。『法城を護る人々』はベストセラーとなり、佐渡出身の哲学者・土田杏村に「明治大正が持った最大の宗教文芸」と絶賛されました。松岡の著書はほかに『憂鬱な愛人』、『敦煌物語』があります。また、生涯にわたって師であり岳父でもある漱石の研究に力を注ぎ、『漱石先生』、『漱石の漢詩』などの著作も残しました。
 本展では、松岡譲の著書や原稿などの資料を展示します。また、度々個展を開き新潟県書道協会創立時に顧問を務めるなど、その分野でも多才ぶりを発揮した書画作品も紹介します。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、NST新潟総合テレビ
協力企業:田村紙商事株式会社
展示協力:半藤末利子氏、本覚寺、新宿区立漱石山房記念館、長岡市立中央図書館、長岡ペンクラブ

※現在予定している企画展示及びイベントは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。


◆「文豪とアルケミスト」タイアップ展開催!
 展示室内に、人気ゲーム「文豪とアルケミスト」のキャラクター、松岡譲の等身大パネルが登場します。キャラクターパネルは写真撮影OKです!(カメラは各自でご用意ください。)
 さらに、企画展をご覧になった方で、ご希望の方にはノベルティ(オリジナルしおり)をプレゼント!数に限りがございますのでお早めにご来館ください。
※ノベルティの第三者への転売やオークションでの転売を禁止致します。


◆松岡譲・夏目漱石 関連グッズを販売します!
 展示室受付にて、松岡譲や夏目漱石の関連グッズを販売します。
 商品の一例:ポストカード各種110円、一筆箋300円、漱石山房メモ帳300円、ミニトート800円(グッズ提供:新宿区立漱石山房記念館、芸艸堂)
 また、松岡譲や半藤末利子氏の著書(文春文庫版)も販売します。ぜひこの機会にお求めください。
 ※売り切れの際は何卒ご容赦ください。

2021/04/06~2021/07/11

2021(令和3)年度│日本映画初の女性脚本家 水島あやめ

 映画産業が生まれたころ、松竹蒲田撮影所で日本初の女性脚本家が活躍しました。南魚沼市出身の水島あやめ(1903~90年)です。水島が書いた脚本は松竹初の女優・川田芳子(新潟市出身、1895~1970年)らの主演により映画化されました。
 水島が脚本家として活躍したのは無声映画の時代でした。映画が無声からトーキーに切り替わるころ、水島はかつて憧れた少女小説作家に転進。そこでは、すでにスター作家であった吉屋信子(新潟市、1896~1973年)や蕗谷虹児(新発田市出身、1898~1979年)らと出会い、第一線の少女小説家として多くの少女たちに夢を与えました。
 本展では、水島あやめの没後30年の節目に、関連資料とともに水島あやめを紹介します。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、NST新潟総合テレビ
後  援:南魚沼市教育委員会
協力企業:田村紙商事株式会社
展示協力:因幡純雄氏、高野恵美子氏
無声映画提供協力:株式会社マツダ映画社

※現在予定している企画展示及びイベントは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。

2020/12/12~2021/03/21

2020(令和2)年度│没後70年記念 相馬御風のうたのこころ

新潟県文化祭2020

 糸魚川町に生まれた相馬御風(1883~1950年)は、2020年に没後70年を迎えます。早稲田大学校歌「都の西北」や「カチューシャの唄」の作詞で知られ、詩人や文芸評論家として活躍した御風が最初に文学の道に入ったのは11歳の時でした。地元の俳人・歌人の手ほどきを受けて俳句や短歌を詠み始めた御風は、高田中学校(現高田高校)時代の国語教師の下で本格的に短歌を学びました。
 中学卒業後に与謝野鉄幹主宰の「新詩社」に入会。東京専門学校高等予科(現早稲田大学)在学中、共に新詩社を脱退した前田林外や岩野泡鳴らと「東京純文社」を興し、雑誌「白百合」を創刊しました。大学卒業後は恩師・島村抱月によって再刊された「早稲田文学」の編集に携わり、短歌よりも自然主義評論や詩、小説の創作活動に意欲的な10年間を過ごしました。
 1916(大正5)年、33歳で東京での文壇生活を捨てて郷里糸魚川に退住、良寛研究に着手します。町の有志によって御風を指導者とする短歌結社「木蔭会」が組織されると、再び旺盛なる意欲をもって歌作につとめました。御風は1926(大正15)年に発刊した『御風歌集』のはしがきで「歌は私の最も純真な表現」と述べています。御風にとって短歌とは真実の自己表現だったのです。本展では、糸魚川歴史民俗資料館《相馬御風記念館》に伝わる資料を中心とした約30点をとおして、御風が詠まずにはいられなかった歌の世界、そのこころを展観します。

主催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:故 吉沢久子氏
展示協力:糸魚川歴史民俗資料館《相馬御風記念館》

※現在予定している企画展示及び解説会などのイベントなどは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。

2020/08/22~2020/11/23

2020(令和2)年度│江戸のリアリズム 森蘭斎

新潟県文化祭2020

 現在の妙高市新井に生まれた森蘭斎(1740~1801年)は「南蘋派(なんぴんは)」の絵師として江戸中期に活躍しました。越後新潟で五十嵐浚明(1700~1781年)に画を学んでいたころ、南蘋派の熊代熊斐(くましろ・ゆうひ、1712~1773年)の画を見て、南蘋派入門を決意。宝暦13(1763)年ころから長崎でその技法を学びました。
 「南蘋派」、中国・清時代の宮廷画家 沈南頻(しん・なんぴん、1682~1760年?)が長崎滞在時に残した技法で、写実的で鮮やかな彩色の花鳥画を特徴とします。この技法は大流行し、同時代の円山応挙や伊藤若冲に影響を与えたといわれますが、現在では知る人ぞ知る流派です。
 天明2(1782)年に、蘭斎は版本『蘭斎画譜』を出版。この画譜により、南蘋派が広く知られることとなりました。
 本展では生誕地・妙高市に残る作品を『蘭斎画譜』とともに展示し、江戸のリアリズム絵師・森蘭斎を展観します。

主催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
後援:妙高市教育委員会
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:故 吉沢久子氏
展示協力:新潟県立図書館

※現在予定している企画展示及び解説会などのイベントなどは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。

2020/04/03~2020/08/02

2020(令和2)年度│佐渡を訪れた文化人―山本家コレクションより

 明治時代に武家政権から天皇親政になると、真野村(現佐渡市真野)の順徳天皇火葬塚(真野御陵)が脚光を浴び、参拝のために佐渡を訪れる人が多くなりました。渡島文化人の多くは真野御陵の管理保全に重要な任を担う山本家の丁寧な案内を受け、短歌や俳句を作り、山本家でそれを書き残しました。佐渡の風土や人情を愛した文化人の多くは佐渡を複数回訪れています。
 本展では、山本家所蔵の膨大な資料の中から、明治以降に佐渡を訪れた文化人を中心に紹介します。佐渡を舞台とした文化人たちの心をお楽しみください。
 佐渡の人々は、海を渡って訪れた文化人を温かく迎えました。そして、新しい文化や思想をもたらす彼らを慕い、後に島内ゆかりの地に文学碑を建てました。その写真を併せて展示し、交流の深さも紹介します。

主催:にいがた文化の記憶館、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
後援:新潟県
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:故 吉沢久子氏
展示協力:山本修巳氏(新潟県文化財保護連盟理事、元佐渡市文化財保護審議会会長、地域誌『佐渡郷土文化』主催、佐渡良寛会会長、佐渡俳句協会会長)

2020/01/21~2020/08/02

2019(令和元)年度│吉沢久子・古谷綱武展(企画ミニ展示)

<2020年8月2日(日)まで延長します>

 新潟日報で『家事レポート』を50年以上連載してきた家事評論家の吉沢久子さん(1918-2019年)。2019年3月に101歳の長寿を全うされました。
 高度成長期の1967(昭和42)年に女性の暮らしと家事をテーマに書き始めた『家事レポート』は、吉沢さんにとって「日記のような存在」でした。66歳で夫の古谷さんを亡くしたあとは、ひとり暮らしをしながらシニアの生き方についてのエッセイなども執筆。多くのシニア世代にとってのロールモデルとなりました。
 吉沢さんが新潟日報誌面で連載をすることとなったきっかけは夫・古谷綱武さんの新潟日報連載『新潟遠望』でした。本展では古谷さんの『新潟遠望』や吉沢さんの『家事レポート』のパネルを関連資料とともに展示します。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
協  力:故吉沢久子氏
展示協力:福井県坂井市春江図書館、「月刊キャレル」編集部

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