にいがた文化の記憶

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2019/04/02~2019/05/26

2019年度 マンガとはナンダ 児童マンガの世界から

第34回 国民文化祭・にいがた2019 第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会 応援事業

 マンガとアニメはいまや、クール・ジャパンの日本を代表する情報産業の一つになっています。戦前・戦後に子どものものだったマンガは、雑誌の隆盛とその後の映画やテレビの映像技術の発展により、子供だけのものではなくなりました。大人向けの恋愛ものや、内外の歴史や時事問題を背景においた作品、さらには日本経済を解説する“学術的“分野まで拡張しております。
 本展では、平安期の鳥羽僧正作とされる《鳥獣人物戯画》から江戸期の北斎漫画、そして太平洋戦争前後の田川水泡の『のらくろ』、さらに昭和期の手塚治虫の『鉄腕アトム』というマンガの歴史を概観し、この潮流のなかに新潟県ゆかりのマンガ家が活躍しており、その代表者として寺田ヒロオ、赤塚不二夫らの作家とその作品を紹介します。

主  催 / にいがた文化の記憶館、新潟日報社
共  催 / 新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業 / 田村紙商事株式会社
協  力 / 新潟市マンガ・アニメ情報館、新潟市マンガの家、にいがたマンガ大賞実行委員会、
      寺田ヒロオ研究会、新潟市潟東歴史民俗資料館、新潟市立中央図書館、
      新潟県立新潟中央高等学校、新潟県立新発田高等学校同窓会、新潟市歴史博物館、
      新潟市美術館、新潟かみしばいクラブ

■ 紹介している新潟のマンガ家
 寺田ヒロオ、赤塚不二夫、聖悠紀、魔夜峰央、小林まこと、近藤ようこ、高野文子、安田弘之など

「マンガとはナンダ」

2019/06/08~2019/08/25

2019年度 にいがたの映画人

<第34回 国民文化祭・にいがた2019 第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会 プレイベント>

 1951(昭和26)年に東映を創立し、初代社長を務めたのは、新潟市西蒲区出身の大川博(1896~1971年)でした。鉄道官吏から東京急行電鉄を経て、映画人となりました。大川は会社経営だけでなく、プロデューサーとしても手腕を発揮して、「赤穂浪士」などの映画を制作。また中編の娯楽映画を3本立てで上映し、大ヒットさせました。1956年の新潟東映会館オープニングでは俳優の大川橋蔵らと出席。同じ年に「東洋のディズニー」を目指して東映動画(現東映アニメーション)を設立。設立時に参加していたのは抒情画家の蕗谷虹児(新発田市出身)でした。
 本展は第1部「新潟に残る東映動画の足跡」(新潟大学人文学部メディア・表現文化学プログラム・石田ゼミとの協同企画)と第2部「東映社長 大川博と銀幕のスターたち」の2部構成で、にいがたの映画人たちを紹介します。

第1部「新潟に残る東映動画の足跡」新潟大学人文学部メディア・表現文化学プログラム(石田ゼミ)との協同企画
会期:2019年6月8日(土)~ 7月15日(月・祝)
第2部「東映社長 大川博と銀幕のスターたち」
会期:2019年7月19日(金)~ 8月25日(日)

主催:にいがた文化の記憶館、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、NST
後援:新潟県
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:新潟大学人文学部、新潟大学環東アジア研究センター、新潟大学アニメ・アーカイブ研究センター、新潟市中之口先人館、新発田市・蕗谷虹児記念館、坂本文巳男コレクション、佐藤隆コレクション

にいがたの映画人チラシ

2019/09/10~2019/12/01

2019年度 病とたたかう―近代医学と新潟県人

天皇陛下御即位記念
第34回 国民文化祭・にいがた2019 第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会

 わが国の医学はまず中国から伝わった「漢方」から始まりました。江戸時代、長崎のオランダ人を通じて入ってきた西洋医学「蘭方」への関心が高まりました。西洋医学を学ぼうとする者はみな長崎を目指すようになり、オランダ人医師ポンペらによって後に近代医学界で活躍する人材が育てられました。明治時代に入ると当時最先端のドイツ医学が採用されました。やがてドイツ式の医学教育が確立、医学教育制度の整備が進められていくなかで、新潟県人が先駆的な活動をしました。
 本展では、幕末の種痘医・桑田立斎(新発田市)、医学用語を発明した語学の天才・司馬凌海(佐渡市)、日本で最初の医学博士・池田謙斎(長岡市)、日本初の私立医学校を創立した長谷川泰(長岡市)、初代の陸軍軍医総監・石黒忠悳(小千谷市)、「医師」の理想を追求した入澤達吉(見附市)、越後における医学の父・竹山屯(新潟市)と澤田敬義(新潟市)、女性の排卵や受胎について研究した産婦人科医・荻野久作(新潟市)、脳神経解剖学の権威・平澤興(新潟市)らを紹介します。


主  催:にいがた文化の記憶館、文化庁、厚生労働省、新潟県、
     第34回国民文化祭、第19回全国障害者芸術・文化祭新潟県実行委員会、
     公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
展示協力:日本歯科大学新潟生命歯学部 医の博物館、大阪大学適塾記念センター、加茂市立図書館、古河歴史博物館、医療法人 竹山記念会竹山病院、燕市分水良寛史料館、ナガイレーベン株式会社、長岡市教育委員会、中之島ふる里伝え隊、公益財団法人 中野邸記念館、新潟市曽我・平澤記念館、新潟青陵大学図書館、新潟大学医学部、新潟大学医歯学図書館、新潟県立図書館、新潟県立歴史博物館

チラシ「病とたたかう―近代医学と新潟県人」

2018/04/27~2018/06/24

平成30年度 子どもと夢の世界 ~日本のアンデルセン・小川未明、日本童画の父・川上四郎~

第34回 国民文化祭・にいがた2019
第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会 プレイベント

 新潟県内各地には、古くからの民話が多く残っている。このことは、新潟に「語りの文化」が深く根付いていることを示しています。
 近代に入り、子ども向けの文学が「おとぎ話」から「童話」に変化する過程で重要な人物が、「日本のアンデルセン」と呼ばれる上越市出身の小川未明(1882~1961年)です。未明は44歳のとき、「自分は何時までも子どもでありたい。たとへ子供でゐることが出来なくても、子供のやうに楽しい感情と、若やかな空想とをいつまでも持つてゐたい」と宣言し、生涯を童話作家として捧げる決心をして多くの作品を残しました。
 未明が作品を発表した児童雑誌では、童画という新しいジャンルの絵も隆盛しました。そこで活躍したのが、長岡市出身の画家・川上四郎(1889~1983年)です。川上は東京美術学校(現東京藝大)で藤島武二に師事し、卒業後は中学校教師を経て、児童雑誌で活躍する童画界の第一人者となりました。戦争中、湯沢町に疎開して以来、永住の地と定め、豊かな自然の中で童画を描き続けました。
 現在、子どものための文学は児童文学と呼ばれ、ティーンズノベル、ライトノベルなど近接する分野が広がっている。またこうしたジャンルから直木賞作家を輩出するなど、一般小説との垣根もなくなりつつある。こうした文化の源でもある新潟の語りの文化を見直し、新潟人が作り出した児童文学、童画の「夢の世界」をお楽しみください。

主  催:にいがた文化の記憶館、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
後  援:新潟県
協力企業:田村紙商事株式会社
協  力:小川未明文学館(上越市)、新発田市・蕗谷虹児記念館、湯沢町教育委員会、湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」

チラシ「子どもと夢の世界」

2018/07/07~2018/09/02

平成30年度 佐渡の能楽と世阿弥 吉田東伍と世阿弥発見

│概  要│
 「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」で有名な『風姿花伝』は、室町時代の能役者・世阿弥によって書かれた能楽論です。
 時の将軍足利義満の寵愛を受けた世阿弥は、こっけいな物まねが中心の大和猿楽能を、美しい歌と優雅な舞を中心とした能にまで高め、自分の体験を能楽論として息子たちに伝えました。
 世阿弥は70歳を過ぎて、佐渡島に配流されます。そこで小謡集『金島書』を編みましたが、佐渡島での世阿弥の足跡はよくわかっていません。またその後の消息も不明でした。そのためか長い間、世阿弥は実在したかどうか定かでない伝説上の人物だと考えられていました。
 1908(明治41)年、阿賀野市出身の歴史地理学者・吉田東伍が銀行財閥の安田家の書庫から世阿弥が息子たちに伝えた秘伝書を発見、解読して『能楽古典 世阿弥十六部集』として発表しました。これにより近代能楽研究の礎が築かれました。本展では、吉田東伍を中心に、世阿弥と佐渡の能楽を紹介します。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
展示協力:阿賀野市立吉田東伍記念博物館、吉田文庫、佐渡能楽倶楽部、清遊舎、佐渡市立佐渡博物館

│見どころ│
本展では、佐渡薪能の能装束がご覧いただけます。この機会にぜひご覧ください。

チラシ「佐渡の能楽と世阿弥」

2018/09/14~2018/11/11

平成30年度 日本近代化のパイオニアたち 現代情報化社会の先達 ―前島密・大橋佐平・大橋新太郎・坪谷善四郎・市島謙吉―

<第34回 国民文化祭・にいがた2019 第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会 プレイベント>

 明治元年11月19日(西暦1869年1月1日)、新潟が日本で五番目の港として開港しました。2019年1月、新潟は開港150年を迎えます。
 外国への扉が開いた明治時代、日本は西欧の制度や文化を採り入れて近代化を推し進めました。鉄道などのインフラ整備から始まって、生活が様変わりしていくなか、新潟県人が多彩な分野で先駆的な活動をしました。
 郵政事業などの通信網を導入した上越市出身の前島密(1835~1919年)は現代の情報化社会の基礎を築きました。
 出版社の博文館を成功させた大橋佐平(長岡市出身、1835~1901年)、新太郎(長岡市出身、1863~1944年)父子は私立の図書館「大橋図書館」を創設し、部下で同図書館館長を務めた坪谷善四郎(加茂市出身、1862~1949年)は公立の日比谷図書館の設立に尽力しました。阿賀野市出身の市島謙吉(1860~1944年)は早稲田大学の大学図書館初代館長を務め、さらに日本図書館協会初代会長として図書館の近代化を図りました。大橋父子や坪谷、市島の業績は現在のインターネット検索の原点となるものでした。
 本展では現代情報化社会のパイオニアたち―前島密、大橋佐平・新太郎父子および坪谷善四郎、市島謙吉―を紹介します。

主  催/にいがた文化の記憶館、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催 /新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、NST
後  援/新潟県
協力企業/田村紙商事株式会社
協  力/郵政博物館、前島記念館、新潟県立図書館、博文館新社、三康図書館

tirashi_2018_pioneer

2018/11/23~2019/02/11

平成30年度 ボーダレス文学世界 大衆文学編

 かつて菊池寛は「作家が書きたくて書いているのが純文芸で、人を悦ばすために書いているのが大衆文芸だ」と述べました。明治から昭和初期にかけて「文学」といえば「純文学」を意味し、読者の多くは知識人でした。1926年の雑誌『大衆文藝』発刊をきっかけに、「純文学」に対抗する形で「大衆文学」が誕生しました。
 この分野で名を残しているひとりが長谷川海太郎(1900-1935年、佐渡市)です。長谷川は3つの筆名(谷譲次・牧逸馬・林不忘)を用いて武芸者物などの時代小説や探偵小説、体験記を発表しました。なかでも、筆名・林不忘で書いた『丹下左膳』が大ヒット。隻眼隻手のニヒルなヒーローは幅広い世代を魅了し、映画化もされました。
 後進の時代小説家に山岡荘八(1907-1978年、魚沼市)がいます。山岡の『徳川家康』はビジネスマンに愛読された長編小説で、大河ドラマにもなりました。
 1930年代、大衆文学は日本文学のいちジャンルとして確立します。この頃、菊池寛が創設したのが芥川賞と直木賞でした。大衆文学を対象とする直木賞を受賞したのが、鷲尾雨工(1892-1951年、新潟市・小千谷市)、綱淵謙錠(1924-1996年)、野坂昭如(1930-2015年)、阿刀田高(1935年- )です。
 大衆文学には、現代を舞台とする小説も含まれるようになります。少女小説から恋愛小説、特に女性の一生をモティーフに執筆したのが吉屋信子(1896-1973年、新潟市)でした。無頼派作家・坂口安吾(1906-1955年、新潟市)の守備範囲は広く、純文学から、探偵ものや時代小説まで執筆し、ボーダレスな活躍をしました。
 本展では、大衆文学の分野で活躍した新潟県出身またはゆかりの小説家たちを資料とともに紹介します。

主  催:にいがた文化の記憶館、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社

チラシ「ボーダレス文学世界大衆文学編」

2019/02/22~2019/03/21

平成30年度 良寛再発見

 来年2020年は、良寛(1758-1831年)が没して190年になります。子どもたちと手毬をついたり生きとし生けるものに慈愛の手を差し伸べた良寛は、今も多くの人々に親しまれています。良寛は出雲崎の名主の跡取りとして生まれましたが、18歳で出家し、家業は弟に託しました。曹洞宗の僧として諸国で修業した後、39歳で故郷の越後に戻り、燕市国上山に庵を結んで暮らしました。自分の寺を持たず、日が暮れるまで子どもたちと手毬で遊び、人々から親しまれていました。しかし一方では、明治時代に仏教哲学者・原坦山(はら・たんざん、1819-1892年)が、「日本で仏学の蘊奥(うんおう)を究めし者、空海以来、唯この人のみ」と評したように良寛は優れた境涯を持つ禅僧でした。
 會津八一(1881-1956年)は青年の頃、正岡子規の根岸庵を訪ね、「我が郷の良寛禅師を知りたまふや」とただし、村山半牧(1828-1868年)の『僧良寛歌集』を贈ったと記しています。良寛が広く知られ始めたのはその頃からです。八一は糸魚川に退住していた相馬御風(1883-1950年)に良寛研究を勧めたといいます。『大愚良寛』を著した御風は、「本当の自分」を取り戻すために、良寛の生き方に倣おうとしました。八一と御風は早稲田大学での同級生であり、2人ともその専攻は西洋近代文学でした。ここに、従来の古めかしい中国風の文人とは異なる、西欧的ヒューマニズムの視点からする新たな良寛の人間像についての解釈が生まれました。良寛こそが、伝統と近代にまたがる新潟の文人の理想型です。
 本展は、にいがた文化の記憶館の座標軸をなす人物としての良寛を再発見するための企画展示です。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
協  力:全国良寛会
監  修:小島正芳氏(良寛研究家、全国良寛会副会長)

第34回国民文化祭・にいがた2019、第19回全国障害者芸術・文化祭にいがた大会 応援事業

チラシ「良寛再発見」

2018/02/23~2018/04/15

平成29年度 近代詩のパイオニア 堀口大學

 「私の耳は貝のから/海の響をなつかしむ」
 波音が聞こえてきそうなこの美しい詩は、フランスの詩人ジャン・コクトーの詩「耳」を堀口大學(1892~1981年)が訳し、日本に紹介しました。
 長岡市出身の父・九萬一が海外赴任のため、大學は祖母の家に預けられ、旧制長岡中学(現長岡高校)で学びました。卒業後に上京し、慶応義塾大学予科に入学しますが中退して、外交官になるため父の海外赴任に同行しました。
 滞在先のベルギーでフランス象徴派の詩を見出し、スペインでは女流画家マリー・ローランサンを通じてフランスの詩人・アポリネールの詩に出会います。
 1925(大正14)年の帰国後に、訳詩集『月下の一群』を発表。口語や文語を駆使した美しい日本語でフランス象徴派の詩を紹介し、日本の近代詩の発展に大きな影響を与えました。
 本展では、著訳書や資料などを通して、近代詩のパイオニアである堀口大學を紹介します。

主催/ 公益財団法人 にいがた文化の記憶館、新潟日報社
共催/ 新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、N S T
協力企業/ 田村紙商事株式会社

HPチラシ「堀口大學」

2017/12/15~2018/02/12

平成29年度 蕗谷虹児生誕120年記念 少女人気を二分した抒情画家・虹児と華宵

 大正から昭和にかけて流行した少女雑誌を飾った表紙絵や口絵、挿絵のジャンルを「抒情画」といいます。テレビやインターネットのなかった時代、少女たちは「少女の友」「少女画報」「令女界」「少女倶楽部」といった数々の雑誌に夢中になりました。雑誌を選ぶうえで重要な要素の一つが、表紙や口絵を描いている画家で、彼女たちはお気に入りの絵を切り抜いてコレクションしていました。当時、その人気を二分していたのが蕗谷 虹児(ふきや・こうじ 1898~1979年、新発田市出身)と高畠 華宵(たかばたけ・かしょう 1888~1966年、愛媛県宇和島市出身)でした。
 2018年、虹児は生誕120年、華宵は生誕130年を迎えます。同時代に同じ雑誌という舞台で活躍した二人の画家ですが、描かれた少女像には違いがあります。それぞれの特徴を見比べてみてください。

チラシ「虹児と華宵」
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