にいがた文化の記憶

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2021/11/23~2022/03/06

2021(令和3)年度│日本美術界の旋風児 尾竹竹坡

 かつて明治後期の画壇で名をはせ、その後ほとんど埋もれてしまった日本画家の三兄弟がいます。新潟市に生まれた尾竹越堂、竹坡、国観です。とりわけ竹坡(1878~1936年)は、岡倉天心から「天才」とまで言われた画家でした。
 富山で売薬版画の下絵画家として青年時代を過ごしたのち、日本画家を志して上京。明治・大正期の日本画壇で活躍しますが、岡倉天心が会長を務め、竹坡が入会した「国画玉成会」第1回展覧会の審査員選びが紛糾して退会。その後は文部省の美術行政を改革しようと国会議員に立候補しますが、落選。人気作家でありながらも波乱の人生を送りました。
 本展では、今日も美術愛好家に人気のある作品や関連資料とともに尾竹竹坡を紹介します。

2021/07/27~2021/11/03

2021(令和3)年度│生誕130年 松岡譲

新潟県文化祭2021

 小説家・松岡譲(1891-1969年)は、新潟県古志郡石坂村(現長岡市)、真宗大谷派の本覺寺の後継ぎとして生まれました。長岡中学校(現長岡高校)では詩人・堀口大學と同級でした。寺の後継を拒否して上京、進学先の東京帝国大学哲学科で芥川龍之介や久米正雄らと交流し、彼らの手引きで漱石山房を訪ねて夏目漱石の門人となり、漱石から「越後の哲学者」と呼ばれました。松岡は芥川、久米、成瀬正一、菊池寛らと共に漱石を第一の読者とするための同人雑誌、第四次『新思潮』を創刊します。卒業後、漱石の長女・筆子と結婚しましたが、筆子に恋していた久米が小説『破船』で友情を裏切った人物として松岡を描いたため、文壇をはじめ世間から孤立、しばらく沈黙します。失意の松岡を立ち直らせたのが、長編小説『法城を護る人々』の大ヒットでした。寺院の跡取りとして生まれた松岡の父親との葛藤から始まり、俗化した寺院生活への痛烈な批判、真実の信仰とは何かを問うことにより、当時の宗教界の腐敗へ厳しいまなざしを向けた半自伝的小説でした。この問題作を世に出したのは、同郷の出版人・長谷川巳之吉の「第一書房」でした。『法城を護る人々』はベストセラーとなり、佐渡出身の哲学者・土田杏村に「明治大正が持った最大の宗教文芸」と絶賛されました。松岡の著書はほかに『憂鬱な愛人』、『敦煌物語』があります。また、生涯にわたって師であり岳父でもある漱石の研究に力を注ぎ、『漱石先生』、『漱石の漢詩』などの著作も残しました。
 本展では、松岡譲の著書や原稿などの資料を展示します。また、度々個展を開き新潟県書道協会創立時に顧問を務めるなど、その分野でも多才ぶりを発揮した書画作品も紹介します。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、NST新潟総合テレビ
協力企業:田村紙商事株式会社
展示協力:半藤末利子氏、本覚寺、新宿区立漱石山房記念館、長岡市立中央図書館、長岡ペンクラブ

※現在予定している企画展示及びイベントは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。


◆「文豪とアルケミスト」タイアップ展開催!
 展示室内に、人気ゲーム「文豪とアルケミスト」のキャラクター、松岡譲の等身大パネルが登場します。キャラクターパネルは写真撮影OKです!(カメラは各自でご用意ください。)
 さらに、企画展をご覧になった方で、ご希望の方にはノベルティ(オリジナルしおり)をプレゼント!数に限りがございますのでお早めにご来館ください。
※ノベルティの第三者への転売やオークションでの転売を禁止致します。


◆松岡譲・夏目漱石 関連グッズを販売します!
 展示室受付にて、松岡譲や夏目漱石の関連グッズを販売します。
 商品の一例:ポストカード各種110円、一筆箋300円、漱石山房メモ帳300円、ミニトート800円(グッズ提供:新宿区立漱石山房記念館、芸艸堂)
 また、松岡譲や半藤末利子氏の著書(文春文庫版)も販売します。ぜひこの機会にお求めください。
 ※売り切れの際は何卒ご容赦ください。

2021/04/06~2021/07/11

2021(令和3)年度│日本映画初の女性脚本家 水島あやめ

 映画産業が生まれたころ、松竹蒲田撮影所で日本初の女性脚本家が活躍しました。南魚沼市出身の水島あやめ(1903~90年)です。水島が書いた脚本は松竹初の女優・川田芳子(新潟市出身、1895~1970年)らの主演により映画化されました。
 水島が脚本家として活躍したのは無声映画の時代でした。映画が無声からトーキーに切り替わるころ、水島はかつて憧れた少女小説作家に転進。そこでは、すでにスター作家であった吉屋信子(新潟市、1896~1973年)や蕗谷虹児(新発田市出身、1898~1979年)らと出会い、第一線の少女小説家として多くの少女たちに夢を与えました。
 本展では、水島あやめの没後30年の節目に、関連資料とともに水島あやめを紹介します。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、NST新潟総合テレビ
後  援:南魚沼市教育委員会
協力企業:田村紙商事株式会社
展示協力:因幡純雄氏、高野恵美子氏
無声映画提供協力:株式会社マツダ映画社

※現在予定している企画展示及びイベントは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。

2020/12/12~2021/03/21

2020(令和2)年度│没後70年記念 相馬御風のうたのこころ

新潟県文化祭2020

 糸魚川町に生まれた相馬御風(1883~1950年)は、2020年に没後70年を迎えます。早稲田大学校歌「都の西北」や「カチューシャの唄」の作詞で知られ、詩人や文芸評論家として活躍した御風が最初に文学の道に入ったのは11歳の時でした。地元の俳人・歌人の手ほどきを受けて俳句や短歌を詠み始めた御風は、高田中学校(現高田高校)時代の国語教師の下で本格的に短歌を学びました。
 中学卒業後に与謝野鉄幹主宰の「新詩社」に入会。東京専門学校高等予科(現早稲田大学)在学中、共に新詩社を脱退した前田林外や岩野泡鳴らと「東京純文社」を興し、雑誌「白百合」を創刊しました。大学卒業後は恩師・島村抱月によって再刊された「早稲田文学」の編集に携わり、短歌よりも自然主義評論や詩、小説の創作活動に意欲的な10年間を過ごしました。
 1916(大正5)年、33歳で東京での文壇生活を捨てて郷里糸魚川に退住、良寛研究に着手します。町の有志によって御風を指導者とする短歌結社「木蔭会」が組織されると、再び旺盛なる意欲をもって歌作につとめました。御風は1926(大正15)年に発刊した『御風歌集』のはしがきで「歌は私の最も純真な表現」と述べています。御風にとって短歌とは真実の自己表現だったのです。本展では、糸魚川歴史民俗資料館《相馬御風記念館》に伝わる資料を中心とした約30点をとおして、御風が詠まずにはいられなかった歌の世界、そのこころを展観します。

主催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:故 吉沢久子氏
展示協力:糸魚川歴史民俗資料館《相馬御風記念館》

※現在予定している企画展示及び解説会などのイベントなどは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。

2020/08/22~2020/11/23

2020(令和2)年度│江戸のリアリズム 森蘭斎

新潟県文化祭2020

 現在の妙高市新井に生まれた森蘭斎(1740~1801年)は「南蘋派(なんぴんは)」の絵師として江戸中期に活躍しました。越後新潟で五十嵐浚明(1700~1781年)に画を学んでいたころ、南蘋派の熊代熊斐(くましろ・ゆうひ、1712~1773年)の画を見て、南蘋派入門を決意。宝暦13(1763)年ころから長崎でその技法を学びました。
 「南蘋派」、中国・清時代の宮廷画家 沈南頻(しん・なんぴん、1682~1760年?)が長崎滞在時に残した技法で、写実的で鮮やかな彩色の花鳥画を特徴とします。この技法は大流行し、同時代の円山応挙や伊藤若冲に影響を与えたといわれますが、現在では知る人ぞ知る流派です。
 天明2(1782)年に、蘭斎は版本『蘭斎画譜』を出版。この画譜により、南蘋派が広く知られることとなりました。
 本展では生誕地・妙高市に残る作品を『蘭斎画譜』とともに展示し、江戸のリアリズム絵師・森蘭斎を展観します。

主催:にいがた文化の記憶館、新潟県、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
後援:妙高市教育委員会
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:故 吉沢久子氏
展示協力:新潟県立図書館

※現在予定している企画展示及び解説会などのイベントなどは、感染拡大状況により予定を変更する場合がございます。変更の際は当館HPやFacebookでお知らせします。

2020/04/03~2020/08/02

2020(令和2)年度│佐渡を訪れた文化人―山本家コレクションより

 明治時代に武家政権から天皇親政になると、真野村(現佐渡市真野)の順徳天皇火葬塚(真野御陵)が脚光を浴び、参拝のために佐渡を訪れる人が多くなりました。渡島文化人の多くは真野御陵の管理保全に重要な任を担う山本家の丁寧な案内を受け、短歌や俳句を作り、山本家でそれを書き残しました。佐渡の風土や人情を愛した文化人の多くは佐渡を複数回訪れています。
 本展では、山本家所蔵の膨大な資料の中から、明治以降に佐渡を訪れた文化人を中心に紹介します。佐渡を舞台とした文化人たちの心をお楽しみください。
 佐渡の人々は、海を渡って訪れた文化人を温かく迎えました。そして、新しい文化や思想をもたらす彼らを慕い、後に島内ゆかりの地に文学碑を建てました。その写真を併せて展示し、交流の深さも紹介します。

主催:にいがた文化の記憶館、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
後援:新潟県
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:故 吉沢久子氏
展示協力:山本修巳氏(新潟県文化財保護連盟理事、元佐渡市文化財保護審議会会長、地域誌『佐渡郷土文化』主催、佐渡良寛会会長、佐渡俳句協会会長)

2020/01/21~2020/08/02

2019(令和元)年度│吉沢久子・古谷綱武展(企画ミニ展示)

<2020年8月2日(日)まで延長します>

 新潟日報で『家事レポート』を50年以上連載してきた家事評論家の吉沢久子さん(1918-2019年)。2019年3月に101歳の長寿を全うされました。
 高度成長期の1967(昭和42)年に女性の暮らしと家事をテーマに書き始めた『家事レポート』は、吉沢さんにとって「日記のような存在」でした。66歳で夫の古谷さんを亡くしたあとは、ひとり暮らしをしながらシニアの生き方についてのエッセイなども執筆。多くのシニア世代にとってのロールモデルとなりました。
 吉沢さんが新潟日報誌面で連載をすることとなったきっかけは夫・古谷綱武さんの新潟日報連載『新潟遠望』でした。本展では古谷さんの『新潟遠望』や吉沢さんの『家事レポート』のパネルを関連資料とともに展示します。

主  催:にいがた文化の記憶館、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
協  力:故吉沢久子氏
展示協力:福井県坂井市春江図書館、「月刊キャレル」編集部

2020/01/21~2020/03/15

2019(令和元)年度│新潟の米と酒

 新潟は「日本一の米どころ」といわれています。しかし、1930年ころまで北陸以北の米は味が悪く「トリまたぎ米」と呼ばれていました。
 明治に入ると、農業にも科学的な思考と方法が導入され、疫病や冷害に負けないイネづくりが始まりました。北海道大学教授の伊藤誠哉(新潟市出身、のちの北大総長)は当時多くの農家が苦しんだいもち病の伝染経路を研究して防除法を開発しました。全国的に品種改良が進められるなか、県農事試験場(長岡市)の主任技師 並河成資らが「農林1号」の育種に成功。寒さに強くて早く育ち、しかもおいしい「農林1号」は太平洋戦争直後の食糧危機を救い、のちには「コシヒカリ」誕生に貢献します。
 米と水を発酵させてできるのが日本酒です。醸造方法は江戸時代にほぼ確立しましたが、製造中に酛や醪が腐敗するなど品質は不安定でした。1904(明治37)年の大蔵省醸造試験所設立後は品質の安定や向上のため科学的な酒造りが勧められました。現在も普及している速醸酛(そくじょうもと)を体系立て全国の蔵元に普及したのが醸造試験所の技師・江田鎌治郎(糸魚川市出身)でした。応用微生物学者で「酒博士」の坂口謹一郎(上越市出身)は江田を「酒造界の神様」と評していました。
 明治以降に飲まれるようになった酒にワインやビールがあります。川上善兵衛(上越市)は日本に合うワインぶどうを育て、中川清兵衛(長岡市出身)と生田秀(佐渡市出身)は日本製ビール醸造技術を開拓しました。
 本展では、新潟の米と酒の発展に貢献した新潟県人らを関連資料とともに紹介します。あわせて、かつて『月刊キャレル』に連載された「歴史上のごはん」から、当館で紹介している文化人が好んだごはんもパネル展示します。

主催:にいがた文化の記憶館、新潟日報社 共催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送 協力企業:田村紙商事株式会社 展示協力:新潟県農業総合研究所、同研究所作物研究センター、新潟県醸造試験場、新潟県立図書館、      新潟市歴史博物館、糸魚川市教育委員会、柏崎市立博物館、      サッポロビール株式会社、hickory03travelers、「月刊キャレル」編集部

2019/09/10~2019/12/01

2019(令和元)年度│病とたたかう―近代医学と新潟県人

天皇陛下御即位記念
第34回 国民文化祭・にいがた2019 第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会

 わが国の医学はまず中国から伝わった「漢方」から始まりました。江戸時代、長崎のオランダ人を通じて入ってきた西洋医学「蘭方」への関心が高まりました。西洋医学を学ぼうとする者はみな長崎を目指すようになり、オランダ人医師ポンペらによって後に近代医学界で活躍する人材が育てられました。明治時代に入ると当時最先端のドイツ医学が採用されました。やがてドイツ式の医学教育が確立、医学教育制度の整備が進められていくなかで、新潟県人が先駆的な活動をしました。
 本展では、幕末の種痘医・桑田立斎(新発田市)、医学用語を発明した語学の天才・司馬凌海(佐渡市)、日本で最初の医学博士・池田謙斎(長岡市)、日本初の私立医学校を創立した長谷川泰(長岡市)、初代の陸軍軍医総監・石黒忠悳(小千谷市)、「医師」の理想を追求した入澤達吉(見附市)、越後における医学の父・竹山屯(新潟市)と澤田敬義(新潟市)、女性の排卵や受胎について研究した産婦人科医・荻野久作(新潟市)、脳神経解剖学の権威・平澤興(新潟市)らを紹介します。


主  催:にいがた文化の記憶館、文化庁、厚生労働省、新潟県、
     第34回国民文化祭、第19回全国障害者芸術・文化祭新潟県実行委員会、
     公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共  催:新潟日報美術振興財団、NST、BSN新潟放送
協力企業:田村紙商事株式会社
展示協力:日本歯科大学新潟生命歯学部 医の博物館、大阪大学適塾記念センター、加茂市立図書館、古河歴史博物館、医療法人 竹山記念会竹山病院、燕市分水良寛史料館、ナガイレーベン株式会社、長岡市教育委員会、中之島ふる里伝え隊、公益財団法人 中野邸記念館、新潟市曽我・平澤記念館、新潟青陵大学図書館、新潟大学医学部、新潟大学医歯学図書館、新潟県立図書館、新潟県立歴史博物館

2019/06/08~2019/08/25

2019(令和元)年度│にいがたの映画人

<第34回 国民文化祭・にいがた2019 第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会 プレイベント>

 1951(昭和26)年に東映を創立し、初代社長を務めたのは、新潟市西蒲区出身の大川博(1896~1971年)でした。鉄道官吏から東京急行電鉄を経て、映画人となりました。大川は会社経営だけでなく、プロデューサーとしても手腕を発揮して、「赤穂浪士」などの映画を制作。また中編の娯楽映画を3本立てで上映し、大ヒットさせました。1956年の新潟東映会館オープニングでは俳優の大川橋蔵らと出席。同じ年に「東洋のディズニー」を目指して東映動画(現東映アニメーション)を設立。設立時に参加していたのは抒情画家の蕗谷虹児(新発田市出身)でした。
 本展は第1部「新潟に残る東映動画の足跡」(新潟大学人文学部メディア・表現文化学プログラム・石田ゼミとの協同企画)と第2部「東映社長 大川博と銀幕のスターたち」の2部構成で、にいがたの映画人たちを紹介します。

第1部「新潟に残る東映動画の足跡」新潟大学人文学部メディア・表現文化学プログラム(石田ゼミ)との協同企画
会期:2019年6月8日(土)~ 7月15日(月・祝)
第2部「東映社長 大川博と銀幕のスターたち」
会期:2019年7月19日(金)~ 8月25日(日)

主催:にいがた文化の記憶館、公益財団法人新潟県文化振興財団、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、NST
後援:新潟県
協力企業:田村紙商事株式会社
協力:新潟大学人文学部、新潟大学環東アジア研究センター、新潟大学アニメ・アーカイブ研究センター、新潟市中之口先人館、新発田市・蕗谷虹児記念館、坂本文巳男コレクション、佐藤隆コレクション

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