豊かな越後平野をかかえ、日本海に面して南北に伸びる新潟県。明治26年まで、全国一の人口を誇ってもいました。それだけの人間を養うことが出来る経済的基盤があったのです。そこに、文化が生まれないはずはありません。
文化とは何でしょうか。後世に伝えられた有形無形の文化財もさることながら、重要なのは、これを生み出した文化の力に目を向けることではないでしょうか。
かつて越後と佐渡は、都からはるかな北辺の遠流の地でありました。そこに新しい文化の種をまいたのが、順徳院、京極為兼、日蓮、親鸞、そして世阿弥といった人々です。この地が政治的、文化的にひとつのまとまりを見せるようになるのは、戦国時代の上杉謙信による統一を待たねばなりませんでした。
ですが、その強大な力をおそれた豊臣・徳川政権は、越後を分割統治(ディヴァイド・アンド・ルール)する政策をとりました。以後は、越後十三藩という中小大名の領地と、幕府直轄の天領が入り乱れる状況が幕末まで続きます。そのため、文化財では、加賀の百万石、仙台の伊達六十二万石とは比べるべくもありません。
しかし、かえりみて幕末から明治、そして今日に至るまで、日本近代の発展を支え活躍した新潟の文化人は、きら星のごとく、また多彩でありました。新潟はまさに人材の宝庫だったのです。ただそれも、今は「記憶」にとどまるだけです。
時とともに忘れられていく先人の業績を、確かなかたちで次世代に伝えていくことが、今を生きるわれわれの責務ととらえています。にいがた文化の記憶館を訪れることで、若い世代には郷土への認識を深め、愛と誇りを強く抱いてもらい、また他都道府県の方々には新潟の文化力の素晴らしさを知っていただく、これが当館の掲げる目標です。
県内各地にはすでに、先人を顕彰する記念館が多くあります。にいがた文化の記憶館は、これらと連携して、全県に広がる情報ネットワークを構築し、よって人々を知と歴史の散歩にいざなう「学びの回廊」づくりをめざしています。
かんばやし・つねみち 1938年、新潟市生まれ。新潟高校、京都大学卒。文学博士。大阪大学名誉教授。専攻は美学美術史。2004年から16年間、会津八一記念館館長を務めた。09年に新潟日報事業社から「にいがた文化の記憶」を出版。